南東アジアでフィリピン人が初めてヨーロッパ人を戦いで破ったことを知っていますか?マクタンシュラインはその歴史を物語る場所です。
マクタンシュラインはフィリピンの歴史に大きく影響を与えた、セブの歴史的なある戦いを伝えるためにある公園です。セブの本島より30分ほどの場所にある、マクタンのプントエンガーニョ地区にあります。
1521年の夏、ポルトガル人の航海士と冒険家のフェルディナンド・マゼラン、そして60人ほどの仲間は、多数のセブアノ人を率いる首長ラジャ・ラプラプの領土を襲撃しました。(“ラジャ”とは昔のフィリピンの歴史でバランガイを統治していた首長のこと)
その時、マクタンを統治していたラジャ・ラプラプは、別の首長ラジャ・スラ(ズラ)との激しい衝突の最中にいました。スラはラプラプを征服したがっており、スラはマゼランに協力を求めました。マゼランは権力を見せつけるために、ラプラプと戦い倒すことに賛同しました。
すでにこの頃マゼランは、フィリピンの別の地域のたくさんの“ラジャ”達と友好的な関係を築いていました。マゼランはこの戦いは、より多くの強力な統治者達と友好な関係を築く絶好のチャンスだと考えており、ゆくゆくはフィリピンをスペインの統治下に置こうと考えていました。
マゼランはラプラプを服従させスペインの統治下に入るよう説得を試みましたが、ラプラプはその申し出を拒否しました。そしてこの出来事がきっかけでマクタンの戦いは起こりました。しかしマゼランの思い通りにはなりませんでした。ラプラプとその戦士たちは有利に立っていたからです。戦士の数はマゼラン軍を上回っていました。そして、マゼラン軍が援助したとされる大砲を積んだスペインの船は、干潮のため海岸近くに上陸できませんでした。それに加え、干潮により海岸はぬかるんでおり、重い甲冑のせいでスペイン軍兵士達は、思うように動けませんでした。こうしてラプラプはスペインからの侵略者たちを破ることに成功し、ラプラプが統治していた土地と一族、そして同時にフィリピンをも守ったのでした。
マクタンの戦いが起こったとされる場所
マクタンシュラインはこのマクタンの戦いを思い起こす場所で、もちろん公園内には有名な英雄ラジャ・ラプラプの銅像があります。
(マクタンシュラインにある他の銅像についても、また記事を書きます)
“Kampilan”という刀と盾を持っているラジャ・ラプラプの銅像
こうしてラプラプはフィリピンで初めての英雄となりました。彼はヨーロッパ人の征服に勇敢に立ち向かったとして、人々の記憶に刻まれています。
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